元大和国郡山藩旧士族後胤の皆様へ

2020年5月13日

 

明治維新の動乱により主家を離れた士族達は、僅かな秩禄処分金の交付を受けましたが、長年居住してきた住居をを追われ、収入の道を閉ざされ、塗炭の苦しみを味わいました。

郡山に残れた者は極僅か。殆どの士族が奈良・大阪・東京へと流浪する如く職を求めて彷徨いました。その結果、遠祖を葬っていた菩提寺との縁も失い、金銭に変えられるものは殆ど売り払ってしまう有様でした。

そのような苦しみの中でも、元郡山藩士の交流を続ける為、柳蔭会を結成し、太平洋戦争勃発の頃迄、春のお城祭りの時には時代行列を続けておりましたが、戦後の混乱期に柳蔭会は自然消滅し、再興することはございませんでした。

辛うじてその事を聞き伝えてきた者として、何とか復興できないかと思案しておりましたが、幸い協力して頂ける方がおられましたので、明治の史料など、収集できる限りの公文書を集めました。

元郡山藩士のご子孫でしたら、明治維新前後の藩士名簿は殆ど蒐集済ですので、どうぞお気軽にお尋ねください。

なお、150年も前の事とは言え、家系に関することですので、ご質問者が元藩士であったと確認・推認できるものをご用意下さい。詳しくはメニューバーにあります問い合わせ若しくは元郡山藩士族後胤よりの連絡からメールを送信して下さい。

昨年行った会合では、東京より参加された方の江戸期の名簿と除籍謄本に記載されているお名前との違いが、奈良県の公文書で確認でき、大変喜んで頂けました。

世話人を致しております私も既に高齢に差し掛かっております。この史料を次の世代に繋げることの難しさを日々感じておりますので、このサイトにお気付き頂けましたら、出来るだけ早くご質問頂ければ幸いです。

令和2年5月

郡山藩御槍奉行 中澤 小一兵衛 後胤

Posted by 小次郎