旧士族の調査~を再加筆しました。(令和元年6月6日)

旧士族の調査及び一部過去記事の削除

武士の世界

旧郡山藩藩士子孫の方が遠祖の歴史を確認されようとする場合、一番最初に訪問されるのは「柳澤文庫」さんだろうとおもう。私も50年近く前に訪れたのが最初であった。
その時、表現するのが難しいのであるが、どうも親近感が持てなかった。現在はもう直接見ることは出来なくなったと思うが、当時は幕末の「大分限帳」そのものを調べさせて頂いた。その頃はまだ書籍として出版されていなかったので見せて頂けたのだと思う。
職員の方とこれという会話もなく、ただ大分限帳の写真を撮影したのち、お礼を言って帰ったことしか記憶にない。
その後この18年ほどまえから何度か行き来するようになって、学芸員や館長とも何度か話す機会があったが、残念ながら50年前の感覚から先へ進むことは出来なかった。

今になって漸く理解できるようになったのだが、「柳澤文庫」は歴史研究機関であり、旧藩士達のことまで拘わりになることは、法人の定款の中に含まれていないので、対象外だということだった。職員の方々は旧藩士子孫ではなく、単なる研究者や事務職員であり、文庫さんへ行けば「武士の魂」がそこ残っていると思うのは全く私の幻想でしかなかった。

それが理解できるまで50年もかかったとは・・。思い込んでいると気付かないものだと今更ながら呆れている。

復活準備のため柳澤文庫さんとのやりとりを少しブログに載せていたが、それらは全て削除いたしました。私の思い込みと文庫さんの定款とが全く噛み合っていないことに気付かず、誠にお恥ずかし記事を書いたものだと反省しきりです。ご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。

旧藩士子孫の方々にご理解頂きたいのは、江戸期の分限帳類集は柳澤文庫発行のものを見ないとわかりませんが、これは大和郡山市図書館以外では借り出すことが出来ません。文庫さんにお名前を申し出て調べて頂けますが、それは分限帳に載っているかどうかだけであり、その先、明治維新後の士族については研究の対象外になりますので、対応出来ないと思います。江戸期の分限帳も何度か作成されていますので、ご自分で書籍を借り出し、ゆっくり調べられるのが一番だと思います。特に幕末の大分限帳を調査して行くと、藩の政治組織を理解することもできますので、お勧めいたします。文庫さんには貸し出し用の書籍はありません。市外にお住いの方は地域の図書館に登録して図書カードを作ってもらい、カウンターで他地域図書館所蔵書籍の借り出しを依頼してください。詳しくは過去記事をご一読いただければお判りになると思います。

郡山藩分限帳を手にする方法
先日来の柳澤文庫とのやり取りでお気づきのことと思うが、旧家臣後裔といえども財団法人は学術団体だから、それ以外のことは一切関知して頂けない。ご自分の先祖が柳澤藩の武士だったと言い伝えてきても、武士時代の名前が伝承されていなければ、コピーを.....

明治になってからの士族・卒たちの名簿は、奈良県図書情報館で公開されている「家禄奉還」のデータを全てダウンロードしてありますので、お問い合わせいただければ調査可能です。また、明治初期の「奈良県貫属士族」名簿・「明治38年の秩禄処分指令人名簿」名簿も手元に蒐集しております。勿論柳澤文庫発行の分限帳類集も全部コピーして保存してあります。(図書館の規定に基づき複写してあります)その他明治初期の奈良県公文書類は殆ど調査しておりますので、コピーをとっていなかったとしても、大体「あの簿冊に綴られていたな」と推測ができます。すべての公開公文書をコピーする訳には参りませんので、あまり必要と感じないものはそにままにしてあります。士族授産関係の簿冊もあります。一応目を通してありますが、コピーは取っていません。他に銀行の設立や紡績会社の設立に関するものなどもあり、出資者に旧藩士の名を認めることが出来ています。

郡山藩の江戸期の歴史に興味がある方は柳澤文庫さんへ行かれれば良いですが、廃藩置県後の旧藩士に関することは、文庫さんではなく、柳蔭会の方へお尋ねください。その方が確実で早いです。「家禄奉還願」を提出された1150名の方はデータベース化してありますので、明治初期の当主名が判っておれば、瞬時に士族であったことは確認出来ます。

武士時代のお名前を伝承されていない場合は、確認出来ないこともあると思っておいて下さい。例えば「中村」さんだとして、主水・勘三郎・吉弥・右近と何軒もあれば、特定することは不可能になります。

——————–  2019/06/06 加筆 ———————————–

しかし、明治初期の当主名が判明しておれば、県の公文書で士族であったことは確認でき、明治の奈良県貫属士族名簿により、改正後の禄高を確認できます。改正後の禄高が確認できれば、別の史料で改正前の禄高を確認することが出来ますので、江戸期の分限帳と照らし合わせれば、恐らくこの方ではなかろうかと推定することが出来ます。「家禄奉還願」を提出された方で、旧名が付記されている簿冊に入っておられれば、確証となる場合もあります。

また、明治38年に奈良県にお住まいであった方に限られますが、秩禄処分指令人名簿で、明治初期当主の相続者(子供)の名を確認出来ることもあります。つまり、江戸期の武士名を確認できなくても、明治期の奈良県貫属士族であったことは確認できます。

何れにせよ、出来るだけ古い戸籍を取得して頂いておれば、何らかの歴史史料に基づき、士族後胤であったことを確認出来るものをお渡しすることが出来るかと思います。

こういうのを第一級の歴史史料による証明と言います。

——————-  2019/06/06 加筆終了  —————————–

ネットの上に公開してあるものは画像データのままです。これはテキストにして「検索」出来ないようそのままにしてあるのです。
150年前の名簿で、既に奈良県図書情報館で「公開公文書」」とされているものですが、出来るだけ個人のプライバシーを保護したいとの考えから敢て「テキスト」として公開していません。

お問い合わせ頂くときは、「元 郡山藩 士族後胤よりの連絡」または「問い合わせ」より必要事項をご記入の上送信して下さい。

私は在野の研究者(研究するが論文を発表しない)です。主に研究してきたのは中世の荘園史・地頭領主制・南北朝から応仁・明徳の乱を経て室町幕府崩壊までの動乱期が主な研究対象でしたので、幕末から明治維新後に関しては余り詳しくありません。ご了承下さいますようお願い致します。尚、「サイト開設者」に今日まで研究してきた史料を、主なものだけですが加筆しておきましたので、ご一読下さい。

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