旧士族の調査~を再加筆しました。(令和元年6月6日)

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江戸末期は御鑓奉行を勤めていた中澤小一兵衛の直系後胤です。

70年安保が大学在学中でしたので、殆ど授業を受けることなくレポートだけで卒業しました。従って卒業証書はありますが、殆ど学力が付いていません。

歴史の研究は40年程しています。全くの独学ですので苦労しました。史料として出版されている和漢文文書を何とか読めるようになったは、20年程前です。毛筆の手紙類はサラサラと書かれていますので、未だに苦手です。

———-  以下 2019/06/01 加筆 ——————–

主として研究してきたのは、地頭として丹波へ移住してから小領主的大名へと成長していった遠祖のことで、源平合戦から南北朝の動乱・応仁の乱・明徳の乱など激動の時代が中心です。その後織田信長の武将であった明智光秀によって丹波大山城(兵庫県丹波篠山市大山)・丹波笑路(わろうじ)城(京都府亀岡市別院庄笑路)が落とされ、小領主的大名として一円を支配することが出来なくなった頃で一応の完結をさせています。

従って、江戸期については、全集ものの歴史本を読んだ程度で、この時期は研究ではなく、勉強しただけです。

主に研究したのは、中澤文書(丹波・郡山)・久下文書(丹波)・平治 保元物語・平家物語・吾妻鑑・義経記・東寺百号文書・勧修寺文書・九条家文書・太平記・蔭涼軒日録・北野社文書・加茂別雷神社文書・建仁寺文書・八坂神社文書・相国寺文書・天龍寺文書・大徳寺(真珠庵)文書・南禅寺文書・東福寺文書・大覚寺文書・多田社文書(摂津)・言継卿記・辰市文書(奈良)・看聞御記・満済准后日記・東大寺文書・春日社文書・大乗院寺社雑事記・醍醐寺文書・石清水八幡宮文書・仁和寺文書・長楽寺文書(群馬)などで、史料集としては大山村史(兵庫)・丹南町史(兵庫)・氷上郡誌(兵庫)・兵庫県史・亀岡市史(京都)・綾部町史(京都)・福知山市史(京都)・長岡京市史(京都)・高槻市史(大阪)・茨木市史(大阪)・大阪府史・箕面市史(大阪)・豊能町史(大阪)・埼玉県史・群馬県史・美里町史(埼玉)・萩藩史料(山口)・山口県史・栃木県史・秋田県史・島津家文書(鹿児島)・入江文書(大分)・石山本願寺史料・室町幕府奉行人奉書集成(上下)・室町幕府引付史料集成(上下)・蜷川家文書・鎌倉遺文・南北朝遺文・群書類従・大日本史料・丹波大山庄発掘調査報告書(篠山市教育委員会)・丹波笑路城発掘調査報告書(亀岡市教育委員会)などが中心ででした。

一族に室町幕府奉行人となった家系もございますので、全国に残る奉行人奉書の研究は半分くらいの量を占めます。必然的に幕府の政治機構にも研究は及びました。従って上記の膨大な史料は流し読み程度ですが、殆ど全部目を通さざるを得ず、結果としてこの時期の知識は漠然とした形ですが蓄積出来たと思っています。

余談になりますが、「蔭涼軒日録」は読みごたえありました。飛びぬけて難しかったです。高校の漢文知識がこんな時に役立つとは全く思ってもいませんでした。大学受験のお陰です。

———— 加筆終了 ———————————————-

この15年ほど前から明治維新前後のことを研究しだしましたが、拙家に伝承されている文書の解読が主たる目的でしたので、詳しくはありません。しかし、研究しだしますと、父からよく聞かされた柳蔭会が郡山では全く忘れ去られていますので何とか復興させたいと思い、10年以上前から柳澤神社の宮司さんにお話ししたり、菩提寺で住職や檀家総代をしておられる方(江戸末期の家老)ともお話してきました。

残念乍ら全く前に進むことが出来ませんでしたが、今年の柳澤神社例大祭でご一緒になった方の協力を得られることとなりましたので、取り合えず旧士族の後胤である方々にお声がけし、一度顔を合わせることから始めることとしました。

来年 平成31年1月20日(日) 午前10時より、柳澤神社参集殿に於いて会合を持ちたいと思っております。


平成31年1月26日 追記 1月20日の復活準備会は12名の出席で滞りなく実施されました。東京・大阪からも参加者があり、上は複数のご家老衆から下は三両二人扶持まで、皆さん和やかに懇談することが出来ました。「家禄奉還願」によって、江戸時代の名前と古い除籍謄本の名前が一致し、同一人物であったことが確認されたことは大きな成果でした。この準備会に間に合うよう、「家禄奉還願」のデータをアップして下さった奈良県図書情報館の職員に心より感謝申し上げます。このデータは柳澤文庫と全く関係ない、県の公開公文書です。以前より何度か目にしており、拙家の処はコピーしておりましたが、全てはコピーしておりませんでした。今回の準備会に必要ですので全部コピーしようと思い図書情報館へ行ったら、データ化の為閲覧不可能な状態でした。フィルムは出来上がっているが、それをシステムにセットアップされていませんでしたので、何とか間に合うようにお願いしておりました。

担当の職員は病気療養中であったにも拘わらず、出勤してアップして下さいました。本当に有難く思います。明治に戸籍が作られた時に、武士の多くが改名させられており、柳澤藩の分限帳と明治の除籍謄本と名前が一致しません。

今日までこの謎を解く方法は全くありませんでした。このデータを公開して頂けましたことは、廃藩置県・秩禄処分と激動の時代を生き抜いてきた遠祖を確認出来る唯一無二のデータでした。深謝申し上げます。

今後複数回の準備会を経て、団体の設立総会を実施したいと考えています。


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柳澤神社 気付 柳蔭会 世話人 中澤 勝
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