元 大和郡山藩 柳澤氏の家臣であった士族後胤の為のサイトです

柳蔭会へのQ&A

 

お爺ちゃんが元郡山藩の士族だったと言ってましたが、本当でしょうか。
私どもは明治期の士族名簿を100%持っています。一人も欠けていません。明治初期のご先祖名を教えて頂ければ確認できますが、貴方が本当にその士族のご子孫であるかどうか、ネットだけでは判断できませんので、下記の公文書を取得なさってから、再度お尋ね下さい。先ず、貴方の戸籍謄本を始めとして、遡れる限り古い除籍謄本を市役所・役場等で取得して下さい。そうしますと、明治期の戸主名が判ります。その方が士族であったかどうかを手元の史料を照合して判断致します。
そんなの手間ですし、戸籍・除籍謄本の取得にはお金がかかります。もっと手軽にできませんか。
それは出来ません。古い歴史のこととはいえ、そのご子孫がおられる訳です。同姓だからそうだろうなどと安易に考えてお答えしてしまいますと、後になって本当のご子孫が判明した時に取り返しの付かない失態となってしまいます。従って、極めて慎重に行っています。
先祖の墓には3~4代ほど前からしか名前が判っていませんが、それでも士族だったことはあるのでしょうか。
藩士の中には代々江戸屋敷詰だった方もおられます。かれらの墓所は江戸だったのです。しかし廃藩置県により江戸屋敷を没収されましたので、多くの方が郡山へ移り住んでおられます。江戸期の墓所・菩提寺は第二次世界大戦中に米軍の爆撃を受け、すべてが破壊されてしまった経緯もありますので、それらも考慮して考えています。
お墓の戒名に院や居士がついていません。武士だったら必ずついているものだと聞きましたが、そうとは限らないのですか。
江戸期には藩士と平士との区別がありました。藩士は柳澤家が甲府より郡山へ移ってきた時に一緒に移り住んだ方達と考えて良いと思います。彼らはほぼ院・居士がついたお墓になっています。しかし、平士だった方も少ないですがおられました。彼らは院・居士がつかないお墓になっています。また、柳澤家が郡山へ入ってから、地元の人を500人以上平士として雇いました。かれらは院・居士がつかないお墓に入っておられます。もう少し具体的に言いますと、士分(30石以上の藩士のこと)だった方は殆ど院・居士がついていますが、平士(明治初期にいう卒、3両2人扶持の金給雇)だった方は、院・居士がついていません。30~40石の藩士だった方でも、院・信士のお墓になっておられる方も存じ上げています。その方は江戸期勘定奉行を勤められてこともある家系です。従って、院・居士号については一般的な解釈としては上記のとおりですが、全てがそうだったとは言い切れないと思います。3両2人扶持でも武士には違いありません。
明治期に戸籍が出来たとき、下級武士は3代以上にわたり勤務していなければ平民にされたと聞きましたが、そうなんですか。
明治初期に戸籍が作られたとき、これを壬申戸籍と申しますが、この時に漏れたのだと訴訟をされたことがありました。特に寺社仏閣に勤務された諸大夫と言われる方が士族に入れて欲しいと裁判をされた史料が確認できています。郡山藩でも同様の訴訟をされた史料が残っています。それらが全国的に相当な数に上ったようで、政府は明治38年に家禄奉還が適切に実施されたかどうか、再度全国で確認作業を行いました。その記録が残っており、そこの備考欄に3代以上にわたり勤務していたかどうか、という文言が書かれています。しかし、郡山藩に於いては、一代限りの卒(3名)も士族に入れて欲しいと申し入れていますので、必ずしもこの定義は当てはまらないのではないかと思います。尚、この3名が士族に入ったかどうかは現在研究している最中ですので、暫くお待ちください。

郡山藩が提出した卒の名簿の人数と、奈良県が城郭や武器等を実地調査した時に書かれている人数とはかなり差があります。確実なことはまだ言えませんが、3代以上仕えてきた者というのは、ほぼ間違いないのではないかと推定されます。郡山藩では「譜代」とうい表現を使っていました。

本家との縁が殆ど切れていますので、戒名や位牌などを確認することが出来ません。どうしたら良いですか。
これは一番厄介で最も多いケースです。家系というのは遠祖の祭祀を継続していることを言います。貴方の祖父・曽祖父の時代くらいから本家と疎遠になったのだと思います。ご事情は様々でしょうが、年に一度くらい本家にご挨拶に行かれ、遠祖をお祀りしてある仏壇(祖霊舎)にお参りしておれば、もう少し具体的に申しますと、遠祖を祀って頂いているのだから、せめてお線香代くらいは毎年お供えになっていれば、現在困ることは無かっただろうと思います。菩提寺とのお付き合いを継続して行ってきておられるご本家の経済的負担の一部にでもと、それなりの金額を包んで、頭を下げてご挨拶に行かれたら如何でしょうか。御香料(お供え・ご仏前など)と書いて、ご本家の仏壇にお供えされることをお勧めいたします。
曾祖母が士族から嫁に来たと聞きましたが、それでも柳蔭会に入れますか。
はい、入れます。戸籍・除籍謄本が必要なことは上述した通りです。出来れば曾祖母のご本家にご挨拶に行かれ、一緒にご加入頂くのが一番良いのですが、ご本家がご加入されなくても、貴方が加入することは出来ます。ご遠慮なくお尋ねください。3号会員(いま定款を検討中)になりますので、総会での議決権は与えられないと思います。(まだ準備段階ですので、決定ではありません)
戸籍・除籍謄本は 入会の時に提出するのですか。個人情報はあまり他人に見せたくないのですが。
貴方が明治期の士族のご子孫であることが確認出来れば良いのであり、本証やコピーを提出する必要はありません。柳蔭会が実施する行事の会場へおいでいただき、役員に見せて頂ければそれで結構です。コピーや写真を撮ったりすることはありません。そのままお持ち帰り頂きます。尚、当日ご持参いただくものは謄本の本証にして下さい。コピーでは改竄の恐れがありますので、受付いたしません。なお、大和郡山市及びその近郊にお住まいで、以前より役員たちが存じ上げている方は、これらの史料を提出して頂くことを求めませんが、将来に向けて戸籍・除籍謄本の交付を受けておかれることをお勧め致します。
柳蔭会に入会すれば何か得になることはあります。
何を以って得になるかは人夫々の考え方によるでしょうが、金銭的な支出が増えることは確かです。その面だけを見れば損になります。しかし、遠祖達が共に勤務した郡山城に所縁がある方達ばかりの集まりですので、皆さんと交流を深めるだけでもプラスにはなるでしょう。城址では春・夏・秋にイベントがあります。まだ準備会の段階ですので将来は判りませんが、これらの行事に参加することになるでしょう。その時に「旧交不忘」・「柳蔭会」・「元郡山藩士族」と書いたジャンパーやTシャツを着て参加することとなります。イベントでよく見る「のぼり」も制作すると思います。当然これらを作成する為には費用が掛かりますので、自己負担が増えることとなります。年会費の中から柳澤神社への御神饌料をお供えします。金銭的な支出は確実に増えます。その中で貴方自身が何を得として捉えるかは、夫々の考え方次第です。損得勘定では計算できないものだと思います。