旧士族の調査~を再加筆しました。(令和元年6月6日)

家禄奉還願を読む

武士の世界

家禄奉還願書を読んでみる。

家禄奉還之儀ニ付願書

私儀

永世禄壱ケ年ニ現米十四石頂戴罷

在候處今般第四百二十五号之御

布令ニ随ヒ家禄奉還仕候依之何卒

産業資本金御規則之通下賜

候様奉懇願候以上

第一大区十六小区

添下郡箕山居住

士族   旧名〇〇〇之事

明治七年戌年五月二日 〇〇一郎㊞

前書通相違無御座候仍奥印仕候以上

副戸長 椿 重 ㊞

戸長 楠田 充正㊞

右区副区長 飯島 税㊞


家禄奉還(かろくほうかん)の儀につき願書

私儀(わたしぎ)

永世禄(えいせいろく)壱(いっ)ケ年ニ現米(げんまい)十四石頂戴(ちょいうだい)罷在(まかりあり)候(そうろう)處(ところ)今般(こんぱん)第四百二十五号之御布令(ごふれい)ニ随ヒ(したがい)家禄奉還(かろくほうかん)仕候(つかまつりそうろう)依之(これにより)何卒(なにとぞ)産業資本金御規則之通下賜(くだしたまい)候様(そうろうよう)奉懇願(こんがんたてまつり)候(そうろう)以上

第一大区十六小区

添下郡(そえじもぐん)箕山(みのやま)居住

士族   旧名〇〇〇之事

明治七年戌(いぬ)年五月二日 〇〇一郎㊞

前書通(まえがきのとおり)相違無御座候(そういござなくそうろう)仍(よって)奥印(おくいん)仕(つかまつり)候以上

副戸長 椿 重 ㊞

戸長 楠田 充正㊞

右区副区長 飯島 税㊞


この程度だと難しいものではありません。楽に読めます。ここで朱書きしてあるのが、旧名です。

士族だったという方の殆どが、この旧名を伝承しておられませんので、除籍謄本を取得しても一郎さんしかわからないのです。

これはご本人ですが、中には父が死亡したので相続された方もあり、また、その相続された方も改名させられていたりしますので、除籍謄本と江戸時代の分限帳が一致しません。

それらの謎を解く鍵がこの「家禄奉還願」です。

家禄奉還願は殆どこの形式で書かれており、一々読み下ししても意味がない。若干異なる記述もあるが、それは極まれ、中には銘文と思われる文章で心の内を書かれているのもあるが、結局は全く考慮されることはなかった。

商業や農業の試検(ママ)に赴いており、代理人が申請しているのもある。豆腐屋・寿司屋・穀物商・荒物屋などを始めた者もいる(三両二人扶持が殆ど)。裁判所に勤務していた者(1名)や西南戦争に出陣していた者(1名)もある。この西南戦争に赴いた方(吉保公縁戚の大身)は、後に負傷して長崎の病院で亡くなっている。(別の史料で相続願いが出されている)

いくら学術研究とはいえ、個人の名前を書き出すことは出来れば控えて欲しい。このページでも個人名はなんとか読めるが、細かいところは読めないと思う。研究者の餌食にならないようにと思えば、名前を隠すことも出来ない。歴史をメシの種にされている方は史料が一旦公開されれば、あとは好き放題に材料として使ってしまう。少しでも個人情報の保護に気を使って頂けるように、限界ギリギリの状態でアップしたと思って頂きたい。

郡山藩の大分限帳(分限帳類集)のように、少数の出版で大学や一部の研究機関にしか保管されなかったら、士族の後胤はその図書に触れることも出来なくなる。私がここへアップしたのは、このデータを先に公開することで、後にこれを題材にして論文を書かれる研究者により、著作権・翻刻権だと規制されるのを防止する為です。インターネットにだって著作権はありますので、幾分かでも対抗できるでしょう。(甘いでしょうけど・・・)

柳蔭会のメンバーになって頂けた方には、高解像度のデータで印刷してお渡することが出来るようになった。先般の復活準備会で実施済です。USBメモリーにもデータで渡しました。

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