旧士族の調査~を再加筆しました。(令和元年6月6日)

士族ニ被仰付度者を公開します

武士の世界
EPSON MFP image

明治の戸籍で始め「卒」と分類された、郡山藩で言う「平士」達の史料が奈良県図書情報館で公開されていることは既に書いてきました。

パスワードを設定して柳蔭会の会員だけに公開していたのですが、「家禄奉還願」を調査している中で、以外にも町場にお住いの方がこの平士、明治初期の「卒」になっておられる方が多くおられました。

半数以上がそうであったと考えても良いかと思います。

先日の柳蔭会復活準備会で10人ほどを一緒に纏めた大型の位牌を伝承されている方がおられ、現在他地域にお住まいであるため、江戸期の菩提寺がわからない事情もございましたので、町屋地域にある某寺にお電話でお尋ねし、また、後日面談もさせて頂きました。

その時、「まだ、郡山に士族が残っているのですか」というお言葉も出てまいりました。

町屋にお住いであった士族(殆どが3両2人扶持)は結構な数がおられます。恐らくご子孫には士族であった伝承さえも受け継がれていないのではないか、また、伝承はあっても家族は信用していないのではないかと思います。

この史料でしたら、住所が書かれていないことから現在の方に直接結びつくとは思われませんので、パスワードを解除して公開することと致しました。明治初期のご先祖名を伝承され、代々郡山で祭祀を継承してこられていたら、このファイルをみて、「あ、やっぱり士族というのは本当だったんだ」と気づいて頂けるかもしれません。

先日の柳蔭会復活準備会にご参加頂いた方よりは、「お仏壇が日に日に綺麗になってゆきます」と連絡を頂いています。よく参加して頂いたと、私どもの方も感謝しております。

士族ニ被仰付度者
明治政府が行った戸籍作成により、旧郡山藩は藩士と卒に分けられた。しかし直ぐに卒も士族に編入しても良いということになり、各藩では扶持を与えていた卒(郡山藩では平士と呼ばれていた)の名簿を提出しました。(総数773名)その原本が現在奈良県立.....

画像ばかりですので、メモリーが少ないと読み込むまでに少し時間がかかると思いますが、辛抱して待って下さい。WIFI環境であれば別ですが、データ通信状態でスマホで見るのがダメです。

歴史史料の画像公開はいま徐々に進んでいます。特に画像処理が必要な絵画のなどに多く使われてきており、先般、「家禄奉還願」を公開された奈良県図書情報館も立派なシステムを構築されています。

私はそんな高価なシステムを組み込むことが出来ませんので、いま利用できるフリーソフトだけで構築してあります。勿論これらにはプロ版があり、それを購入すればもう少し表現方法が良くなるようですが、コアな部分は変わりませので、現段階ではこれで十分こと足りていると考えています。

コメント