旧士族の調査~を再加筆しました。(令和元年6月6日)

柳蔭会を復活させよう

復活準備

明治維新の動乱の後、新政府により解体された大和郡山 柳澤家の家臣は柳蔭会を組織し、藩士の生活を守るため種々の殖産事業を起こし、また、廃城令により解体された城址に桜の木々を植樹し、柳澤神社を創建して例大祭をおこなってきましたが、第二次世界大戦の敗戦により日本中が困窮したこともあり、その後会の活動は止まってしまいました。

戦後70余年を過ぎた今日、有志の旧藩士後胤達は、何とかこの会を復活させたいと願い、今旧士族の後胤と思われる方にお声がけをしております。江戸期に郡山藩へ出仕されていた方のご子孫も、士族だったことだは言い伝えられているでしょうが、第三者によりそれを歴史史料によって確認して貰うことは、中々思いつきません。今回柳蔭会復活を提議するまでには、長い時間をかけて明治初期から中期にかけての奈良県公文書を調査してまいりました。

幸いにして奈良県立図書情報館で明治期の史学的に極めて重要な公文書が逐次公開されるようになりましたので、漸く旧藩士子孫の確認が取れる史料を入手することが出来ました。昭和23年の民法・戸籍法改正により、戸籍欄に掛かれていた士族の俗称はその部分を切り取られてしまい、今日士族であったことを戸籍・除籍で確認することは出来ませんが、他の歴史史料によって別の角度から確認することが出来るようになりました。

この会にご入会いただきますには、江戸期に郡山藩の藩士・平士・寺社仏閣・商人等、郡山藩より禄米・扶持米・給米・御祈祷料などを受けておられた方のご子孫であることが条件になります。代々郡山もしくはその周辺にお住まいで、菩提寺で藩士時代より代々の墓石を確認でき、私たちが古くより存じ上げている方は何の問題もないのですが、廃藩置県以降に郡山を離れられた方のご子孫の場合は、郡山藩の藩士だった・士族だったという伝承が本当なのかどうか確認出来なければなりません。

前述致しましたように、奈良県では明治初期から中期にかけて様々な調査が行われた公文書が歴史史料として公開されていますので、100%完全とは申しませんが、その他の史料と勘案しますと、確認出来ない方はほぼおられないと思います。

菩提寺を移転されていたりして、郡山藩士だった頃の墓所が解らない、菩提寺も判らない、代々物故者の記録である過去帳も伝承されていない場合は、戸籍・除籍謄本を遡れる限り取得しておいて下さい。当方で蔵書している史料と照合し、確認させて頂きます。

その照合と確認の過程はは文書にしてお渡しします。子々孫々まで大切に保存頂ければ幸いです。まずは、メニューにあります、「士族後胤よりの連絡」より、メールを送って下さい。これは入会申し込みではありません。伝承内容を史料と照らし合わせ、確認できましたら、ご入会して頂きます。

では、旧郡山藩士族後胤の皆様より、一報が届くのをお待ち致します。

尚、旧藩士等の子孫でないが、郡山城に関係をお持ちになりたいとのご希望がございましたら、柳澤神社奉賛会がございます。是非ご加入頂きますようご案内申し上げます。詳細は神社の社務所にご連絡下さい。

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