旧士族の調査~を再加筆しました。(令和元年6月6日)

柳本藩執政は正に武士の鑑と言えよう

武士の世界

この数年は明治初期の奈良県公文書を調査・研究している。以前より気が付いていたが他藩のことなので詳しく見る機会がなかったのだが、先般郡山藩の家禄奉還願を調査しているなかで、明治期の強制的改名によって、江戸期の武士名と明治の名前が一致せず、同一人物なのか、親子なのか、それとも全く同姓の別人物なのか、判断することが非常に困難になっていることを知り、時代とは言え、武士に対する新政府の仕打ちの酷さに呆れかえっている。
知れば知るほど心を打ち拉がれる史料ばかり目にしているのは本当に辛い。
そんな中、柳本藩が提出した藩士名簿を見て驚愕した。

なんと、この藩が提出した名簿は改名後であるが、すべての藩士・卒に右側に朱書きで元の名を記載してある。これは零落して行かざるをえない武士が何とか旧名(武士の名)を後世に残したいを知恵を絞られたのであろう。
大和の各藩で柳本藩だけであった。当時執政職にあった方の慧眼には頭が下がるばかりである。

事実150年近くたって、私がこの名簿を見ているのだから、彼らの意図したことはちゃんと目的を果たしたのである。
個人名をネットに上げることは控えておくが、柳本藩の武士後胤の方は、ご連絡頂けば名簿をお渡しします。
誠に武士の鑑と言えよう。正に敗北の中に名を遺した。名誉ある敗北と言えよう。

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